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上杉謙信の重臣達

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先日、上杉景勝以降の上杉家について記事を書きましたが、
上杉謙信の重臣達も気になったので、子孫を調べてみました。

上杉家のターニングポイントは、御館の乱や関ヶ原の戦い・七家騒動 等だったようです。
米沢藩では、高家衆(上杉家の親族)・揚北衆(越後北部の豪族)・信濃衆が重用されたそうです。

(参照:ウィキペディア)
直江景綱(実綱、大和守)
 直江家は景綱死後、2代後を直江兼続が継ぎましたが、
 兼続の子・直江景明が早逝した為、兼続の死と共に直江家は断絶します。

柿崎景家(和泉守)
 柿崎家は景家死後、2代後を子・柿崎憲家が跡を継ぎ、
 一時上杉家を追放されたが、1620年 上杉定勝に許されて帰参したそうです。
 以後、柿崎家は米沢藩士として続きます。(席次16位)

斎藤朝信(下野守)
 斎藤朝信は御館の乱で上杉景勝に味方し、朝信死後、子の斎藤景信が跡を継ぎました。
 景信は一時上杉家を追放されたが、1620年上杉定勝に許されて帰参したそうです。
 以後、斎藤家は米沢藩士として続きます。(席次22位)

北条高広
 高広と子・北条景広は、御館の乱で上杉景虎に味方し景広は敗死。
 北条高広のその後は不明で、北条家は 高広の子・北条高広が(同姓同名)
 跡を継ぎ上杉家に仕えたが、没落したそうです。
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theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

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